1月11日なので、久しぶりに日付ネタで ジェネラル・ダイナミックス F-111シリーズの写真をちょいとScanして かき集めた。シリーズのなかでは一番マイナーだったと思うFB-111Aに最初はご縁がありました。
低空進入戦略爆撃機としてSACが採用したFB-111Aは、ピーズ AFB の509BW (M)とプラッツバーグAFB 380BW (M)の2個航空団にのみ配備されていた。
TAC / USAFEに配備されていたF-111A/D/E/F とは異なり渋いグリーン系の迷彩にグロスブラックに輝く大きなレドームが印象的だった。
ファントムやイーグルならセンターに取り付ける600ガロン増槽が主翼に取り付けられている。この当時はまだ、明るい迷彩で下面も白と Good ルッキングだった。
![イメージ 5]()
1989年7月23日 RAF FAIRFORD IAT'89 FB-111A 68-0286 509BW (M) DEMO
1991年7月3日 NAS LEMOORE EF-111A MO 67-0038 390ECS / 366TFW
1989年7月24日 RAF FAIRFORD IAT'89 Dep EF-111A UH 67-0032 42ECS / 66 ECW
1995年9月18日 CANNON AFB EF-111A CC 66-0027 429ECS/ 27 FW
1991年5月22日 RAF LALENHEATH F-111F LN 72-1448(48TFW機)、70-2415
1991年5月22日 RAF LALENHEATH F-111F LN 70-240x 下ひとケタ読めず。。。
1991年7月24日 RAF UPPER HEYFORD F-111E UH 68-0026 55TFS / 20 TFW
GEORGE AFB 1985年3月22日 (3枚とも) FB-111A 68-0256 509BW (M)
上のGEORGE AFBで撮影した FB-111A が自分が最初に撮った FBだと思っていたら、証拠写真が出て来てビックリ! 1980年7月10日 Mc CLELLAN AFB / Sacramento Air Logistics Center
FB-111A 68-0245
別のファントム写真を捜索して、10年前引っ越してから一度も開いていないダンボール箱を開けてみたら、白黒のネガが出て来て、その中に 夏休みに出かけたホームステイ『初アメリカ旅行』の時に訪れた
Mc CLELLAN AFB で撮らせてもらった写真があり、てっきりF-111は重整備中の飛行機の形をなしていないLN等の機体しか撮っていなかったと思い込んでいた。整備明けのテストフライトから戻って来たとおぼしきFB-111Aのタキシングを200mmで撮っていた。
初めて出かけたヨーロッパは前年88年で、偶数年だったので、その頃はエアタゥーはやっていなかった。なので、3度目のイギリスツアーにして、やっとIATに足を運べた。初タトゥーで FB-111Aがなんとデモフライトを実施した。当時のイギリスにはレイクンヒースとアッパーヘイフォードにF-111航空団が2個置かれていたのに、わざわざ本土からFB-111を持って来てデモまでやるとは。。。昔のアメリカは余裕があったんだなぁ~(笑えない:今
)

FBの次に少なかったのが EF-111A "RAVEN" だろうか。
しかし、唯一本州に飛来した事があるのが、EF-111Aで、米韓合同演習「チームスピリット’88」への参加で岩国基地に 366TFW / 390ECS の EFが展開したのだ。厚木マニアでも わざわざ岩国まで撮りに出かけた猛者もいたが・・・・当時の岩国は20上がり02降りが定番だったのよね~
このカットは、前にもどこかで紹介したが、D氏独身最後のアメリカ撮影ツアーで、現地合流して2人でテキサスからニューメキメキのキャノン、とロズウエルまでレンタカーで爆走して 余命僅かになっていたワンイレブンを 思いっきり撮った懐かしい想い出。
東風または北寄りの風が吹いた時のレイクンヒースに当たった時は、24 End側で 午後遅い時間に戻って来るワンイレブンを撮るのが大好きだった。↑はフォーメーション・PAR ローアプローチをコンプリートして、DEP エンドでギヤアップして上昇に移るシーン。
同じ場所で、ビジュアル(タワーパターン)で L/A する機体のうち、何機かは こうした豪快な捻りをみせてくれたので、外周道路からアプローチエンドまでは距離がある06側で着陸を狙うよりは、午後一まではお隣りミルデンホールで KC-135や 輸送機、トランジットで飛来する外来機をまって、夕方光が回り始めてレイクンヒースのワンイレブンが飛んでいれば(隣なので判る)移動して、こうしたカットを狙ったものでした。
この時は湾岸戦争後のエアタトゥーを中心に英国に2週間強滞在した。戦争で記入したスコアがF-111には多数書き込まれていて、R/W27運用時のアッパーヘイフォードは、End のホールディングがもの凄い近くだったので、この位置で停止しているF-111が35mmで撮れた。このタキシーウエイは、細くてRのカーブで いわゆるピンヌキ・エリアが無く、遠方に写り込んでいる機が居る位置がラストチャンスになっていた。