MiG-25といえば日本では、1976年9月6日にベレンコ中尉操縦のP型が、日本の防空網をかいくぐって函館空港に強行着陸、後にアメリカへ亡命した事件で有名。当時のソビエト防空軍(PVO)としては新型だったMiG-25Pが、西側へ舞込んできたので、防衛庁はアメリカと協力して、機体を函館空港で分解後 米空軍のC-5ギャラクシーで百里基地へ空輸。徹底的に機体を調べ上げたあとソ連に返却。
他方、レーダーサイトで探知後 千歳基地からスクランブルで迎撃に上がった F-4EJは装備するレーダーのルックダウン能力不足で領空侵犯機、しかも前線に配備されていた新鋭戦闘機を見失い、国内に着陸を許してしまった。この事件がきっかけと成って航空自衛隊にE-2Cが導入される事に至った。
1992年6月 MiG-25RB
東西ドイツが統一された後も、旧東ドイツ地区に残留していたソ連のミグ25フォックスバットの偵察型。Su-24フェンサーと供に 某基地に配備されていたもので、当時は1週間に1~2日しか飛行訓練が行われていなくて、かなりバクチ的な要素が高い条件だったが、半日だけ当たって数機ずつ赤い☆のフォックスバットとフェンサーをフィルムに納める事ができた。