日本のベテラン飛行機マニアからは「弁当箱」というニックネームで呼ばれていたEC-130E Airborn Battlefield Command and Control Center= ABCCC。C-130Eから62-1791、62-1809、62-1818、62-1825、62-1832、62-1836、62-1857、62-1863の全8機が改造された。
62-1818 7ACCS/374TAW RJTY R/W18 14 SEP 1974
62-1863 KS 7ACCS/28AD RJTY R/W36 22 DEC 1985
62-1832 7ACCS/28AD KLSV R/W21 T 12 APR 1992
62-1791 1SOS/353SOG RJTY R/W36 L 17 AUG 2004
機首に増設された大型のラムエア・スクープを称して「弁当箱」と’60年代に名付けられたらしい。
胴体後部のカーゴドアからボックス型のABCCCユニットを搭載し、12名のコントローラーが乗り込んで 戦闘エリアの指揮を空中から行なっていたようだ。ベトナム戦争に投入されていた頃7ACCSは、南ベトナムDa Nang AB 後にタイUdorn RTAFB、Korat RTAFB を転々とし 撮影した'74年はフィリピンのClark ABに居た。
この機体 62-1818は、1980年4月の Operation Eagle Claw に参加した1機らしい。RH-53D x 6機、EC-130 x 1機を失い、8名の死者を出すと言う 米軍の歴史上に汚名を残した『イラン アメリカ大使館 人質救出作戦』
Clark AB から本土の Keesler AFB へ引き上げた後の 7ACCS、テイルレター KS が入った姿はこの時しか撮れず。12月で日没の早い時期、なかなか上がらず しかも DELTAからのラインナップ。露出が落ちてしまい プロペラが1周しているから1/60くらいで無理矢理撮ったようだ。この頃はヨーロピアン1だったのも厳しい条件に追い打ちを賭けている。
約10年に1度くらいのインターバルでしかEC-130E ABCCCは撮る事が出来なかったが、’92年4月はネリスの Green Flagに参加してミッションを実施していたので 何度か離着陸が撮れた。これは午後からの演習にR/W21で上がり南側のEndでライトターンしている姿。白黒で撮ってしまったのが悔やまれる! 両翼にプローブ型HFアンテナ、後部カーゴドア付近に3本のVHFアンテナ、胴体下面にもVHF、UHFアンテナが増設されているのが判るだろうか。7ACCSでのEC-130E運用は’94年までで、’94~'98年までEC-135を装備して Offutt AFBに移動したようだ。
嘉手納の1SOSに配備されていた時期もあったが、台風避難で横田へ逃げて来た 曇天夕方の着陸しか撮れなかった。任務をE-8とE-3に引継いで2004年までに EC-130E ABCCCは退役してしまった。