米海軍のF-4飛行隊として日本で最もなじみ深かったのがCVW-5の第1、第2飛行隊だったVF-161 & VF-151。今日はそのうちVF-161 "Chargers" をダイジェストで振り返ってみる。
1975年8月21日 NAF ATSUGI R/W19 F-4N NF #102
1980年4月2日 NAF ATSUGI R/W19 F-4J NF #115
1983年9月23日 NAF ATSUGI R/W01 F-4S NF #113
1984年5月30日 NAF ATSUGI A-1 TAXIWAY F-4S NF #103
1984年8月17日 NAF ATSUGI R/W01 F-4S NF #104
1984年10月5日 NAF ATSUGI F-4S NF #100 CAG on borde
1985年5月15日 NAF ATSUGI F-4S NF #114
1985年5月15日 NAF ATSUGI F-4S NF #103
NAF ATSUGI R/W19 DEP F-4S NF #101
![イメージ 13]()
これでも300mmでエンドから撮ったカットとしては十分低いが、これはサービスでこちら側に若干バンクを取ってくれています。PilotはVF-151のヘルメットに見えますネ。
2011年2月9日 MIDWAY Museum @ San Diego F-4N NF #102
1986年8月14日 NAS LEMOORE F/A-18A NF #101
'73年10月上旬にMIDWAYがホームポートを横須賀に移し、搭載空母航空団CVW-5も厚木へやって来た。撮影は母港化から2年近く経過した’75年夏だが来日当時と同様の塗装。お盆休み過ぎの快晴の中CVW-5がMIDWAYから続々と厚木へ戻って来た日。たぶん1台しか無いボディーにkodachrome25を詰めて撮ったんだと思う。
今ならCVW-5のFly-in と周知されたが、この当時は空母が横須賀へ帰港するので 厚木へ艦載機を降ろす事を『入港』と呼んでいた。日本人にありがちな、造語だが 昔の飛行機マニアは基地外周から目視観察、写真撮影して分析するのが主な活動だったので、仕方がありません。
NからJ型へと機種をアップグレードした後、まだ来日当時と同様の素晴らしい塗装だった。
再び機種をアップグレードし、S型になり塗装もロービジ化の波が押し寄せて来た。
尾翼に大書きされたトレードマークの赤い稲妻はMIRAMARがホームだった時代に NFL San Diego Chargers からパクったものらしい。
これもロービジ化されたS型、この程度ならまだネ~
ついにカウンターシェード迷彩となり、稲妻もモノトーン化されてしまった。でも稲妻の大きさNFテイルレターの大きさや濃さは◎
CAG機ですが、全くのモノトーン・・・CAG自身が乗っていたので、彼のヘルメットにはCVW-5の5色のシェブロンが書かれていた(笑)
翌年、まだカウンターシェードに成っていない機体も居たが、国籍マークは小さくなっている。
この日の写真には、まだ赤い稲妻の#103、モノトーンの#114 ↑、そしてこのカットの奥にはカウンターシェード機と混沌としていた時期だった。
旧式のファントムも第一線から退く事になり、’86年にCVW-5はファントム、コルセアの2機種を本土へ春に送り返して、秋には当時の最新鋭機 F/A-18A Hornet が4個飛行隊 厚木へとやって来る計画だった。
1986年4月26日 (以下3枚)
本土へと戻る為のTrans Pac で 伝説の 20 Feet Take off を見せて、土曜日の朝、厚木エンドに集ったマニアの度肝を抜いたRock101
これは基地南側、中原街道沿いからFD300mmでフレーム目一杯に撮った画像です。
ジョンちゃんの頭が写っているし、基地の金網も下に写っている。次の次のコマはトラックの幌しか写っていなかった~という本当に低い離陸でした!
昨日のランス反対側のカットです。朝はVF-21側順光、VF-161側は逆光でした。
おまけ
4月に厚木を去ったVF-161は、本土でF/A-18Aに機種転換し、11月に厚木へと戻って来る計画だった。待ち切れず8月に一足早く NFの18をスクープしに出かけて来た。まだ2~3機しか機体を受領していなかったので、VFA-161もVFA-151も数機しか撮れなかったけれど、秋に成る前に計画が変更されてしまい、CVW-5へ来るVFA飛行隊は3個に減らされ、A-6飛行隊をもう1個追加(VA-185)する事が決定されて、VFA-161は CVW-19 NMへと移動し、Never come back to Japan となった。