3日連続の日付ネタ 今日は VF-103 "Jolly Rogers" + " Sluggers "
1996年後半、USS ENTERPRISE での6ヶ月クルーズを終えたVF-103は12月19日 土砂降りのNAS OCEANAへ Fly-In したが、![イメージ 2]()
小さな島々をHwy-1で結んだ南端の小島にある基地なので、通常の陸上基地とは少し地形が異なる
風向きが容易に変わる場所らしく、滑走路が3本異なる方向に設けてある。場所によっては滑走路の直ぐ脇が水辺だったりマングローブがあったりと一風変わった景色。
ブルーの訓練弾ではなく、先端が黄色いのは本物の火薬が詰まった実弾の証。機体に装着してから先端に真管とワイヤーをオードナンスクルーが手作業で取り付ける。
南国らしい雰囲気を醸し出す雲が青空に浮かび 夢を見ているような至福の時だった。
USS DWIGHT D. EISENHOWER 艦上で AA #100を撮る事が出来た。
結局 F-14B型のキャリオペはこの時が最初で最後のチャンスになったので 厚木のエアショーとは天秤にかけず 迷わず いざ東海岸へ!と飛んで行って大正解だった。
ガラス越しに400mmで撮っているのでピントが甘い
贅沢な話だが、この年は もう こんなシチュエーションでは 何の感動も無く成っていた。人間の感覚とは恐ろしいものだと実感(反省)
AA#103 本来ならば隊長機だから黒尾翼でもおかしくは無さそうだが、まるで別物のような姿になっていた。
手前の2機はまだ黒いが、3機目はすっかり色が無くなっている
モノトーンながら似非黒尾翼にスカル&クロスボーンが復活していたり、VF-84のF-4時代を彷彿とさせる海賊旗風の尾翼が試されていたりしていた。唯一のブラックテイルは#103で CO機。
![イメージ 14]()
1987年5月 VF-74とCVW-17でコンビだった頃 PACのリザーブ飛行隊 VF-301と似たマークだった。
当時のスコードロン・インシグニアに近い図柄が尾翼に描かれた時代
Field IMC の為 当然 GCA APP での冴えないHome comingとなった。このクルーズまでは200番台のモデックスを付けていた。
翌'97年は、Jollyと多くの時間を一緒に過ごした。なんせこの年は全機黒尾翼 機首にもVictory Stripe が入っていたゴールデンイヤーだった。
先ずは、春先にフロリダ州最南端のKEY WESTでのAir to Air Gun
shoot Ex に
バルカン砲のみの演習で、F-14は2日間で満足するだけ撮れたが、次は 黄色帯の実弾を抱えたBombcatを撮る為に6月上旬に
カリブ海のプエルト・リコまで遠征した。チュパカブラに遭遇したら全身の血を吸われて 死んでしまうかもしれないという恐怖とJollyが爆弾を付けた姿を撮れるのを 天秤にかけて 思案したが、やはり
黄帯のBombcatを撮れるチャンスを選んで 命がけでカリブ海迄出かけた(笑)
この時はMk.20ロックアイを搭載して爆撃訓練に向かった。
プエルト・リコから帰国して、直ぐさま厚木のWINGS '97を蹴って
また東海岸へと6月末にはトンボ帰り
3ヶ月後、またオシアナ・エアショー他でバージニアへ
翌年 春 Strike Det Fallonへも出かけたが、流石に戦闘航海を控えて航空団単位での錬成訓練の時期なので、全機黒尾翼&モヒカンノーズの姿にも終わりが来た。
前脚と重なり見難いが2000lbのレーザー誘導弾 GBU-10を搭載してターゲットを目指そうとしていたが、前線を供なった低気圧の接近で乾燥した砂漠地帯は地風吹ならぬ地砂嵐状態になり、タキシーアウトするもミッションキャンセルとなった。GBU-10は機体から取り外されて航海に持って行き海上の何処かでターゲットに投下する事に変更された。
撮影意欲に 99:1 程の差が出る(苦笑)
14ヶ月後 1999年1月 隊長の交代式に呼んでもらい出かけた
4年後 2003年9月
遡って Sluggers 時代を2枚
1993年3月
1995年3月 スラッガーズ末期に黒いシェブロン+モヒカンノーズの姿で随分見映えが良い時期もあったが、時間不足でポジが見つけられず・・・・